マーベル・スタジオ最新作『ブラック・ウィドウ』で、ブラック・ウィドウことナターシャ・ロマノフを演じるスカーレット・ヨハンソン。彼女がMCUのこれまでや『アベンジャーズ /エンドゲーム』の"決断のシーン"について答えたインタビューをお届けします。
──『アイアンマン2』(2010)の頃からブラック・ウィドウの映画化は頭にありましたか?
もしあの頃にブラック・ウィドウが主人公の映画を作っていたとしたら、今とは全く別のものが出来上がっていたと思うわ。それは『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019)でのナターシャの犠牲で、彼女に対する自分の考えが一変したから。ナターシャの本当の内面や彼女の原動力となるもの、彼女は本来どんな人間なのかを表現する機会が来るとは思ってなくて、そこまで掘り下げて考えられていなかった。当時この映画を作っていたら、彼女に関することは少しかじるくらいで、ただ輝かしい一面を映す、ごく普通のスパイ映画になっていたと思う。
──ナターシャの秘密に迫るタイミングが今だと考えた決め手はなんですか?
彼女のより深い部分、核心をつくような物語ができない限り、映画を制作する必要はないと思ってたわ。私はMCUの全ての仕事に満足してる。10年間、ブラック・ウィドウを演じてきて、彼女の最後がファンだけではなく自分にとっても価値のあるものであって欲しかった。だから『アベンジャーズ/エンドゲーム』での彼女の決断にはとてもしっくりきたわ。今回の映画を見ることで、ナターシャが『アベンジャーズ/エンドゲーム』で犠牲を払った理由について納得できるはず。
──映画の物語はどのように作られたのでしょうか?
映画の物語はコミックから引っ張ってきた訳ではないの。ブラック・ウィドウというキャラクターには、語りきれないほどの話があるから、どのようにこの作品を作り上げるかは明確じゃなかった。その代わり、私たちが今まで作り上げてきたMCUの延長として一貫性を持たせたかった。私は狭い視野で具体的に物事を見ていたけれど、ケヴィン・ファイギはより壮大な視点で、予想もしないような考えを持っていたの。それで私たちの考えが組み合わさった作品が『ブラック・ウィドウ』よ。ケヴィンはファンが映画に求めているものを常にイメージしているけれど、彼はそれを切り詰めて誰もが予想していなかったものを作り上げる。だから天才と言われるのね。
ナターシャがファミリードラマに登場するのは予想外のことで、この作品の転換点になった。展開がガラリと変わる部分があって、それに適応するのがとても大変だったわ。ケヴィンが途中で、全く別の映画が突っ込んでくるようだって表現するくらいだもの!もしこのストーリーの転換が上手くいかなかったら、ファンの人たちを映画にうまく惹きつけられなかったかもね。でも、そのバランスをうまく取るのがケイト・ショートランド監督の仕事だったわ。