ディズニーランドが世界ではじめてオープンしたのは、1955年7月17日。
それ以来ずっと、新しいアトラクションが誕生しては、たくさんのゲストを楽しませ続けています。
そんな豊かな歴史の中には、あまり知られていない意外な事実もあります。
今回はディズニーパークにまつわるトリビアを10つまとめてみました。
【1】もともとの建設予定地はカリフォルニア州のバーバンクだった!?
もともと、1951年にアーティストのハーパー・ゴフが提案したディズニーランドの建設予定地はバーバンク。ディズニーのスタジオから通りを隔てた約6万5千平方メートルの土地を使用する想定でした。
しかし、ウォルトはその広さでは足りないと思ったのです。自らの理想を収容するには、まだまだ土地が必要だと。
そうして、建設地がアナハイムに決まり、ウォルトとアーティストのハーブ・ライマンとの48時間にも及ぶ会議を経て、1953年に工事が着手されました。
【2】アトラクションに乗るためにはそれぞれにチケットが必要だった!?
1955年のディズニーランドオープン当初、アトラクションに乗るためには、それぞれ個別のチケットが必要でした。
その年の後半になると、「チケットブック」が売り出されるようになります。
チケットブックにはA~Dのレベルがあり、それぞれのレベルに応じて、乗ることのできるアトラクションが決まっていました。1959年にはレベルEが追加され、サブマリン・ヴォヤッジやディズニーランド・モノレール、マッターホルン・ボブスレーなど、当時最新のアトラクションに乗ることができるようになります。
1982年、ついにディズニーランド・パスポートが導入され、チケットブックはその役目を終えることになったのでした。
【3】スペース・マウンテンが実現したのは、ウォルトの構想から12年後だった!?
ウォルトは、すでに60年代には屋内型のジェットコースターの構想を練っていました。しかし、彼のアイデアを実現するためのテクノロジーが追いつくまでに12年もの月日が必要だったのです。
スペース・マウンテンのはじめての乗客はNASAのプロジェクト・マーキュリー・チームの宇宙飛行士たち。宇宙に行ったはじめてのアメリカ人が、スペース・マウンテンにもはじめて乗ることになったのです。
【4】「イッツ・ア・スモール・ワールド」を作ったのは有名な二人組だった!?
シャーマン兄弟の名前を耳にしたことはありますか?
彼らは、『メリー・ポピンズ』『ジャングル・ブック』『くまのプーさん 完全保存版』といったディズニー映画で楽曲の制作に携わった作曲家です。
さらに、ディズニーランドの人気アトラクションでも音楽を手掛けています。名曲「イッツ・ア・スモール・ワールド」も彼らの手によって生まれました。
【5】マッターホルン・ボブスレーは初のスリルアトラクションだった!?
ディズニーランドではじめてつくられたスリルアトラクションは、マッターホルン・ボブスレーでした。さらに、スチール製の細長い形の車両の採用もはじめてのことでしたし、同時に複数の車両が発射することや、屋内も屋外も走るということもはじめてで、はじめてづくしのジェットコースターでした。
このアトラクションは、ウォルトが1959年の実写映画『山の上の第三の男』にインスパイアされて作られたのです。
【6】ジャングルクルーズには本物の動物が登場する予定だった!?
ウォルトは、アトラクションに実際の動物を用いたいと考えていました。しかし、それは難しいと学者たちに忠告されます。なぜなら、動物は昼間に眠る傾向があるから。
ウォルトは動物を使えないかわりに、ジャングルクルーズではミャンマーのエーヤワディー川や、メコン川、ナイル川、コンゴ川、キリマンジャロのラピッズといった世界の川を本物そっくりに再現することにこだわったのでした。
【7】インディ・ジョーンズ・アドベンチャーには、映画の撮影で使用されたものが置いてある!?
禁断の魔宮を探検するというテーマのアトラクション、インディ・ジョーンズ・アドベンチャー。
エントランスには、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』でインディを引きずった軍用車があります。別の部屋には『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』に登場する古いトロッコの姿もみつけることができます。
【8】カリブの海賊は、ミュージアムになる予定だった!?
カリブの海賊は、もともと「パイレート・ワックス・ミュージアム」という名前で、巨大なマーケット施設の一部として作られる予定でした。
1961年に建設がはじまりましたが、ウォルトがニューヨーク万国博覧会(1964~1965)に参加するため一時中断。
その後、博覧会に刺激を受けたウォルトは、このアトラクションをやんちゃな海賊たちがたくさん登場する、手の込んだアトラクションにするべきだと決意したのでした。
【9】ホーンテッドマンションは歩いてまわるアトラクションの予定だった!?
ホーンテッドマンションは、ゲストが自ら建物のなかを歩いてまわるものとして構想されていました。しかし、そのためのセットを建物に収容するのはむずかしいとウォルトとスタッフたちは気が付きました。
そこで、彼らはゲストを車両に乗せて移動させることで限られた空間を有効利用することに決めたのです。
ゲストは車両に乗る直前、エレベーターで地下に降り、肖像画の廊下を歩きますが、実際にはこれから自分たちを運ぶレールの下を歩いていることになります。
【10】ビッグサンダー・マウンテンでは本物の骨董品が使われている!?
ゲストにゴールドラッシュの時代を存分に感じてもらうため、ディズニーのスタッフたちはフリーマーケットやバザー、オークション、それからほとんど人が住まなくなった街、放棄された鉱山まで訪れて、本物の骨董品の採掘道具を探しました。
そのおかげで、鉱石を壊すために使われた550キロの歯車や、3メートルのもの高さの鉱石を粉砕するための機械、手動式のボール盤などの道具が発見されたのです。
ディズニーランドには意外な事実がたくさん隠されていましたね。そして、どのエピソードからもウォルトのものづくりへの情熱が伝わってくるような気がしませんか?
この情熱が今でも生きているからこそ、人々を楽しませるディズニーランドの歴史が続いているのでしょう。