命あふれるサバンナの王国プライドランドを舞台に、動物たちが生きる様を最先端の映像技術で描く、実写もアニメーションも超えた超実写版"キング・オブ・エンターテイメント"『ライオン・キング』(2019)がディズニープラスで配信中です。
精神科医の目には『ライオン・キング』はどう映るのか?名越康文先生による、物語とキャラクターの分析をお届けします。映画を観た後に読めば、さらに楽しめるかも!?
超実写版『ライオン・キング』が面白いわけ
超実写版『ライオン・キング』に登場する動物たちは、動物それぞれの習性や動き、身体の特徴がリアルに描写されているのに、とても自然に人間の感情を表現しています。それが絶妙で、そんな彼らに我々は一喜一憂させられてしまう。
もしこの物語を人間社会におきかえたとしたら、こんなにシンプルに描くことはできないでしょう。シンプルだから、作品のメッセージもすっと心に入ってきます。映像の技術の進化によって、動物たちの圧倒的な迫力と細やかな表情が描けたからこそできた作品だと思います。すごく新鮮でした。
シンバとムファサ
サバンナの王ムファサと息子のシンバは、本当に素晴らしい親子です。小さい頃のシンバは猫ぐらいの大きさしかなく、ムファサは圧倒的に大きく強い。我々はシンバの気持ちでムファサのことを見ているので、この圧倒的な差異に恐怖すら感じます。
偉大すぎる父親を、息子はどうやって乗り越えればいいのかという「エディプスコンプレックス」は、フロイトが提唱した心のメカニズムの中でも最大級の心理学のテーマです。父親に倒されるのではないかと恐れる反面、強い父親に憧れを持つ。恐怖と憧れ、あるいは恐怖と愛は表裏一体です。
愛する者は脅威でもある。これは恋愛も同じです。相手を本当に好きになった瞬間、怖くなる。嫌われないか、急に心変わりされないか、私は愛されるに値するか、と。愛には恐れという側面があるわけです。親子の愛もそう。それを『ライオン・キング』では言葉ではなく、幼いシンバと圧倒的なオーラや生命力を持つムファサの姿を通して伝えている。映画はしっかり、愛の深さ、そして二面性を表現しています。
なぜシンバは父殺しの罪を負ったのか?
これはまさに心理分析の世界。シンバは、ムファサが崖から落ちたのを目撃しているのに、自分が殺したと思い込み、王国を去ります。お前のせいで父は死んだのだ、とスカーが一瞬で洗脳したからです。マインドコントロールですね。そのシーンの見事なこと!その目で見た光景はシンバの無意識に閉じ込められ、最後のあるシーンまで洗脳が解けません。なんて深い脚本なんだろうと思いました。
シンバはなぜ洗脳されたのか。彼は、憧れの父親に同時にどこかで脅威を感じているからです。実際にお父さんを倒すことはありませんが、息子は父に取って代わることを意識している。親子の間にある潜在的な罪悪感。この親子関係のもろさを、スカーは「本当は父親を殺したかったのではないか?」と突いているのです。だからシンバは目の前で見ていたのに忘れてしまうわけです。この展開は震えるほどリアリティがありました。素晴らしい脚本。このシーンを見直すために、たぶんリピーターが出ると思います。
プンバァとティモンの存在とは?
大変な罪悪感を抱えて、砂漠で死んでしまおうかという顔をしていたシンバは、イボイノシシのプンバァと、ミーアキャットのティモンという相棒に出会います。彼らと一緒に過ごす時間のなかで、シンバは心の傷を癒して地力を蓄えます。
「ハクナ・マタタ(嫌なことは忘れろ、くよくよするな)」という気持ちで生きる、少し哲学的にいうと「今を享楽的に生きる」、実は人生の中でそういう時間は必要なのです。あの場面で彼が生き続けるためには「ハクナ・マタタ」という生き方が絶対に必要だった。あのときのシンバにとって、必要な享楽だったのです。
あの音楽と場面、そしてみんなが行進して踊る姿から、「その人が今必要なものを与えなければならない」というのが一目でよく分かりますね。彼らとの出会いはパーフェクトだったと思います。
ニーチェは、運命に翻弄され、喜びから苦しみまで味わう振れ幅の大きい生き方を「ディオニュソス的」、賢く理性的な生き方を「アポロン的」と言っています。正しいことだけをするアポロン的生き方は一見正解な感じがしますが、これでは生まれた意味がない。世の中にはあらゆる楽しみがあり、それを味わい尽くすことで人は弱さを知るし、仲間もできる。でも、そうして楽しんで、楽しんで、楽しみ尽くすと、ある虚しさと疑問が心の中に湧きます。それはなにか?「私はいったい何者か?」ということです。
シンバにはプンバァやティモンのような仲間ができて、彼らとともに、知恵や優しさ、相手を守ること、許すこと、一人じゃないことなど、人生の豊かさを十分学びました。だから最後、「自分はいったい何者で、何のために生きているんだろう?」という自分の運命への思いが心を満たした時、シンバの享楽の旅は終わりを迎えるんです。そして自分がなすべきミッションへと帰っていく。
「ハクナ・マタタ」という言葉
今の日本は肩肘を張って生きなければならないような、許されている範囲がどんどん狭まっていくような社会になっています。「ハクナ・マタタ」という考え方は「バカな人間のやること」、または「人生の回り道」みたいに見えるかもしれないけど、そうではない。「ハクナ・マタタ」も必要なのです。
「ちょっと恥ずかしいな、でも楽しいじゃない」、「これまずいよ、でも今日はちょっとやらかしちゃおうか」とか、物事を善か悪かで決める未熟な価値観ではなく、全部受け止めるような成熟した価値観が宿っています。
あの映像を観ていると、「ハクナ・マタタ」の素晴らしい面とダメな面、その両方が全部人生にあるから豊かだと、子どもだけではなく大人も確認できると思います。
スカーはまれに見る凶悪な存在なのか?
スカーの卑怯な企みをきっかけに、王国は大変なことになります。でも実はスカーはかわいそうな存在なんです。スカーはなぜ、あれだけ敗北感や劣等感を持ち、暗く、拗ねて、他者を憎み、羨ましがり、だますのか。
人間には二つの能力があります。一つは愛する力、もう一つは知力。この両方を持つ人間が一番パワフルな人。愛だけだと、最悪の事態で解決策を出せず、自身が犠牲になってしまうことも。愛だけでは無力なんです。では知力しかないとどうなるか?その答えがスカーです。知力に長け、愛がないと、自分が一番偉いと思い込み、知恵でどんどん他者をコントロールしたくなってしまう。
もちろんスカーだって親から愛情を注がれ、愛がどんなものであるか知っていたはず。でも彼を変えてしまうような、とてつもないことがあったのでしょう。そんな事態は誰にでも起こりえるもので、ひとつ間違えれば誰にでもスカーのようになる可能性があります。
スカーは悪いやつですが、私たちの誰の中にもダークサイドはある。そのダークサイドに引きずられないためにはどうするか。この作品は「知恵だけつけていてはダメだ」という教訓を伝えています。
これは観るでしょう!
スカーの姿はライオンなのに肩が落ちていて胸が薄い。10年以上ずっと卑屈に生きてきたため、毛並みも悪い。一方で、順風満帆に歩いてきたかに見えるムファサにも、よく見ると歴戦の傷がある。彼らが動くと土埃が立つ。動物が自然の中で生きているというリアルな世界を彼らの肉体を通じて忠実に描こうとしています。
完璧なキャラクターは一人もいない。だから僕たちは、シンバと一緒にたくさんのことを経験し、壮大な旅をして帰ってこられるわけです。素晴らしい経験ができる物語だと思います。
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なこし・やすふみ●1960年、奈良県生まれ。精神科医。
相愛大学、高野山大学客員教授。
近畿大学医学部卒業後、現・大阪府立精神医療センターにて精神科救急病棟の設立、責任者を経て、99年に退職。
現在はテレビ・ラジオでコメンテーター、雑誌連載、講演会、映画評論、漫画分析などさまざまな分野で活躍中。
「SOLO TIME~ひとりぼっちこそ最強の生存戦略である」(夜間飛行)など著書も多数。
公式サイト
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