ディズニー・アニメーション不朽の名作『美女と野獣』は、「外見に騙されるな」「美は内面に宿る」という真理を、美しい音楽とファンタスティックな映像で描く愛の物語で、1991年に公開されるや全世界に多くのファンを得ました。
魔女の呪いで野獣の姿に変えられてしまった王子。その呪いを解くには、王子が誰かを心から愛し、そして愛されることが必要でした。魔女が残した魔法のバラの花びらが、すべて散る前に。けれど野獣の姿になった王子を愛する者はなかなか現れません。心を閉ざした野獣に光を与えたのは、聡明で美しいベルでした。そんなベルを村の人々は、本好きの変わり者(ファニーガール)だと言います。でも彼女は自分の輝きを信じるタフな女性。ベルと野獣の第一印象はお互いよいものではありませんでしたが、深く知るにつれ、二人の気持ちは変化していきます。
『美女と野獣』の大ファンだったエマ・ワトソン
実写版『美女と野獣』(2017年)で、ベルを演じたのはエマ・ワトソン。4歳の時にアニメーション版『美女と野獣』を観て、大ファンになったそうで、アラン・メンケン作曲の歌もそらで歌えるほど。「ベルと野獣が対等なところ」に惹かれたのだそう。お互い好ましく思っていないところからスタートし、友情を築き、それが恋へと発展していくおとぎ話など読んだことがなく、しかもそれがとても美しく描かれていて、「大好きになった」のだそうです。ベルについては、「率直で、野心を持ち、自立し、世界を見たいと思っていて、知的なところ」が魅力的と言っています。実写版のベルは、そんな個性がより現れています。それはエマ・ワトソンが、たくさんのアイデアを出したからなのかもしれません。
より活動的に! ベルはこう変化した
アニメーション版と実写版の違い。まずは、衣装から見て行きましょう。
アニメーション版のベルは、白いブラウスに水色のサロペットスカート。ブルネット(褐色)の髪を同じく水色のリボンでたばね、ブラウンのフラットシューズを履いて軽快に町を歩きます。アニメーターのジェームズ・バクスターは、よりヨーロッパ的にベルを描いたと言っています。主人公の女性がブルネットの髪なのも当時はあまりない描き方での挑戦でした。
コスチュームを実写版でさらに活動的に変えたのは、エマ・ワトソンと衣装デザイナーのジャクリーヌ・デュランです。馬に乗って野獣の住む城を訪れることができるよう、靴はフラットシューズからブーツに、スカートは歩きやすいように裾をウエストのところで挟み込むキュートなデザインに、エプロンには買ったパンや発明工具が入るように大小様々なポケットをつけ、スカートの下にはかわいいハーフパンツを履かせました。メイクもそばかすを隠さないナチュラルなものにと変更したのだそうです。
アニメーション版も実写版も変わらない衣装があります。そう。黄色のドレスです。理由は、ベルと野獣が恋に落ちていくさまを物語る象徴的なドレスだから。実写版では、衣装デザイナーのデュランが、様々な素材で何百回も映り具合を試し、エマ・ワトソンの身体を締めつけ、演技を妨げることのないように、できる限り軽く作りあげたのだそうです。
ベルと野獣が惹かれあうきっかけと、追加された曲
ビル・コンドン監督は、実写版で二人の共通点――、幼い頃に母親を亡くしていること、孤独であること、そして読書家だということを明確に表現しました。ここもアニメーション版との違いです。それらが二人の距離を縮め、惹かれあうきっかけになると判断したからだそうです。
アニメーション版には、母の死は登場しないことで描かれました。でも実写版では、まだ人間だった頃の野獣が病床の母を見守る場面や、ベルの父モーリス(ケヴィン・クライン)がいまも亡き妻を想い、オルゴールの細工のモチーフにする場面として印象的に描かれます。
さらにベルと野獣の二人が、魔女のもうひとつの"贈り物"である「逃避するための本」を使ってエスケープしたパリで、ベルの母親の死の真相を知ることになります。
これら新しいシーンのために、少年時代の野獣が歌う「デイズ・イン・ザ・サン~日差しをあびて~」、ベルが母を想って歌う「時は永遠に」が作曲されました。ほか父のもとに帰ったベルを想って野獣が歌う「ひそかな夢」の3曲が、実写版で新たに作られました。
実写版の発明家はお父さんからベルに!?
ビル・コンドン監督、脚本家のステファン・チボスキーやエヴァン・スピリオトプロスは、実写版ではジェンダーの描き方もユーモラスな演出で変化させました。冒頭、本を返しに町に出たベルが市場を通り抜けるシーン。夫婦でやっている食料品店に買い物に来たグラマラスな女性客に妻が焼きもちを焼くアニメーション版に対し、実写版では店に訪れる客を男性にして夫に焼きもちを焼かせています。
アニメーション版で新しい本を借りてきたベルが好きな章を羊に教える水場のシーンも、実写版では人力ならぬロバ力で動く洗濯機を発明したベルが、少女に文字を教えるエピソードへと変更されています。発明家の父モーリスゆずりで、ベルもアイデアマンなのですね。
でもベルは村人に、「また女の子に読み方を?」と怒られてしまいます。自信を失ったベルは時々、「パパ 私って変?」と父親に尋ねます。モーリスは、「ここは小さい村だ 人々の心も狭い」と答えますが、原作はまだ女性の社会的地位の低かった18世紀に書かれた小説。ですので、ベルのような悩みを抱えた女性もたくさんいたのかもしれません。いずれにしても皆が仕方ないと、あきらめるような不条理にも風穴を開けようとするベルは、とても魅力的です。文字を読むことができた少女の顔の輝きを見れば、ベルの行動がいかに素敵か、伝わってきますよね。
野獣はベル以上に本が好きな知識人?
ちなみにベルが読んでいる本は、アニメーション版では「ジャックと豆の木」ですが、実写版ではシェイクスピアの「ヴェローナの恋人たち(ヴェローナの二紳士)」。シェイクスピア・ファンの設定は、負傷した野獣の看病をするそばでベルが「ロミオとジュリエット」の一節を暗唱するエピソードの伏線になっています。
シェイクスピアの描くロマンスをそらんじるほど好きなベルに、野獣は、もっとマシな本が沢山あるのにとあきれたそぶりを見せます。アニメーション版の野獣が、たどたどしく「ロミオとジュリエット」を読むのに比べ、実写版の野獣は、ベル以上に読書家で、高等な教育を受けた知識人であることが描かれる場面です。
その後、「アーサー王と円卓の騎士」の悲恋を描いた「グィネヴィアとランスロット」を読んでいるのをベルに見つかった野獣が、照れくさそうにする場面があります。恋愛小説を取るに足らないと考えていた野獣の気持ちの変化を描いたこの場面は、二人が友情から恋へと発展するのを丁寧に表現したシーンのひとつと言えます。
言葉では言い表せない(素晴らしい)何か
最後にガストン(ルーク・エヴァンス)のエピソードを。ベルに執着する理由としてガストンは、「戦争の後 何かが欠けている気がする 彼女だけが その何かを…」持っていると、彼を崇拝するお調子者ル・フウ(ジョシュ・ギャッド)に話します。実写版のガストンは単なる乱暴者でなく、戦争で戦い、村を守った英雄で、酒場の壁には壁画が描かれています(アニメーション版では肖像画)。帰還兵ガストンの気持ちを字幕では「< 欠落感か>」とル・フウが代弁しますが、台詞では「ジュ・ヌ・セ・クワ」。フランス語で、"言葉では言い表せない(素晴らしい)何か"という意味です。ベルのことを表す言葉ではありますが、そのまま『美女と野獣』という作品を表しているような気もしますね。
アニメーション版にも実写版にもそれぞれの面白さがあり、観れば観るほど発見があります。エマ・ワトソンは出演したことについて「ベルを演じるだけじゃなく、映画の世界に住むことができた」と語っています。エマならずとも、映画の世界に住んだかのような没入感を得られる2つの『美女と野獣』。"言葉では言い表せない(素晴らしい)何か"を持つ両作品を観比べた時、あなたはどんな発見をするでしょうか。
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