もしあなたが、90年代にディズニー映画をよく見ていたのなら、作品の中で流れる美しく心に響く歌は、きっと忘れられない音楽のひとつとなっていることでしょう。歌詞全部を覚えてしまっている人もいるかもしれません。
では、その素晴らしい歌が作られる過程をどれくらい知っていますか?
今回は90年代のディスニーソングの製作にまつわる7つのトリビアをご紹介。きっとあなたの知らなかった新しい発見がありますよ!
【1】『ノートルダムの鐘』(1996)の「トプシー・ターヴィー」のあまりの出来に、配役が変更!?
当時ウォルト・ディズニー・フィーチャー・アニメーションの社長だったピーター・シュナイダーは、クロパン役ポール・カンデルの「トプシー・ターヴィー」をスタジオ収録中に聞き、あまりの感動に、「この人はすごい。彼をほかのところでも使うべきだ。彼で映画を始めよう!」と製作陣に言ったそう。
結果、『ピノキオ』(1952)のジミー・クリケットと同じように、クロパンはナレーションとキャラクターの両方の役割をつとめることとなりました。
【2】『美女と野獣』(1992)の名曲「美女と野獣」は、ポット夫人役アンジェラ・ランズベリーがワンテイクで録音!?
もともとニューヨークに向かっていたアンジェラ・ランズベリーは、レコーディングのため、急遽ラスベガスに降り立ちました。空港にランズベリーが到着したという一報が入った時、プロデューサーのドン・ハーンは、到着したその日にレコーディングする必要はないと考えていましたが、、彼女は「冗談でしょ。練習したのよ。準備はできているわ」と答え、この曲を一気に歌いあげました。そのあまりの出来に1回目のレコーディングが映画に採用されたのです。
【3】作曲家フィル・コリンズは『ターザン』(1999)の契約後、たった2週間で3曲を仕上げた!?
フィル・コリンズは、ディズニーとの最初のミーティングの後にさっそく原作エドガー・ライス・バローズの小説「類人猿ターザン」を読みました。彼は、その後のたった2週間の期間で、小説から得たインスピレーションを元に曲をたくさん書きあげたのです。その時に作られたのが「Trashin’ The Camp」「Strangers Like Me」「Son of Man」です。さらには「Two Worlds」と「You’ll Be in My Heart」はなんとクリスマス・パーティの間に作られました!
【4】『ライオン・キング』(1994)の「サークル・オブ・ライフ」はもともとオープニングではなかった!?
製作当初、映画は会話で始まる予定でした。しかし、ハンス・ジマーとレボ・Mによる「サークル・オブ・ライフ」のあまりの素晴らしさに、製作スタッフたちはオープニングとして使うことに決めたのです。
【5】「カラー・オブ・ザ・ウィンド」は『ポカホンタス』(1995)で最初に書かれた楽曲!?
「川の向こうで」や「絶えまないリズムのように」のようなヒット曲を書く前に、アラン・メンケンとスティーヴン・シュワルツは「カラー・オブ・ザ・ウィンド」をプロデュースしました。この曲の影響力は大きく、映画全体のテーマを決める手助けとなり、のちにはポカホンタスを代表する歌となりました。この曲で、メンケンは4つ目のアカデミー賞を獲得しています。
【6】「ホール・ニュー・ワールド(新しい世界)」と「リフレクション」は同じ歌手!?
それぞれ『アラジン』(1993)と『ムーラン』(1998)という全く違う2本の作品に登場する曲ですが、両方ともレア・サロンガが歌っています。ちなみにジャスミンとムーランの声は異なる女優が演じています。
【7】『ヘラクレス』(1997)の「ゼロ・トゥ・ヒーロー」にはモデルとなったミュージックビデオがある!?
「ゼロ・トゥ・ヒーロー」のアニメーションは、当時かなり人気を博した"C&Cミュージック・ファクトリー"の「Things That Make You Go Hmmm」からインスピレーションを受けています。
監督たちは、ミュージックビデオの発想を元に、アメリカの女性ボーカルグループ"アン・ヴォーグ"の振付師フランク・ガットソンを雇い、参考となる実写ビデオを撮影しました。
ディズニー映画好きなら誰もが聞いたことのある素晴らしいの曲の裏側には、さまざまな裏話がありました。ディズニーソングを聴くときはぜひ、今回のお話を思い出しながら聞いてみてくださいね!きっと、いつもと違った楽しみ方ができるはずです。