文豪ヴィクトル・ユゴーの代表作に想を得た『ノートルダムの鐘』。ノートルダム大聖堂の鐘楼に住むカジモドと大聖堂大助祭フロロー、警備隊長フィーバスが、美しいジプシーの踊り子エスメラルダをめぐって繰り広げる人間ドラマが、荘厳な音楽にのせて描かれていくミュージカルです。全身全霊でカジモド役を演じているひとり飯田達郎さんに、人間の光と影を浮き彫りにする作品の魅力について語っていただきました。
――ディズニー長編アニメーション『ノートルダムの鐘』はご覧になっていますか?
僕にとってはじめて買ってもらった思い出のビデオで、たぶん200回くらいは観ていると思います。商店街にあったCD屋さんの一角で見つけて、なぜか心惹かれました。この前久しぶりにDVDではなく子どもの頃に買ってもらったビデオを観たら、本編の前に入っている他作品の予告の文言まで一言一句覚えていたくらい。この作品との運命的な出会いに、今こうしてカジモド役を演じさせていただいているご縁を感じます。他にももともと民族音楽のようなものが好きだったので、子ども心に「何てかっこいい曲なんだ!」と興奮した当時の気持ちを思い出しました。また、その頃はガーゴイルの仲間たちも本当に生きていると思っていたのですが、それがカジモドの想像なのだと分かった今、彼がひとりぼっちで話したり歌ったりとその孤独や悲しさがより深く感じられました。
――カジモド役のオーディションのときのエピソードを教えて下さい。
"石になろう"などは音域がとても高いナンバーなんです。オーディションのときにはなんとか声が出て、無心で曲に向き合って歌いました。芝居面でも物語終盤のセリフで、自然と涙が出てきました。オーディションの段階で、いい意味で感情をさらけ出すことができたのは、はじめての経験でしたね。思い出に残っているオーディションです。俳優として新しく生まれ変わるきっかけになるだろう、という予感がしました。
――感情面でも揺れ動きが激しいキャラクターですね。役作りの面ではどのような工夫をしましたか?
心の動きがめまぐるしく変わる台本なので、感情があふれすぎてお客さまを置いていかないように少し客観的な視点をもって演じていく。その"さじ加減"が難しいと感じています。カジモドはずっとフロローに感情を抑え込まれて育ってきて、エスメラルダに出会うことで色々な感覚が芽生えるんですよね。どんな思いを抱えて生きてきたのか、カジモドの気持ちを想像することから役作りをはじめました。毎年、道化の祭りがとても楽しみだっただろうな、クリスマスはお菓子を食べたり、年明けには特別にイチゴをもらったり、年末年始はわくわくしていただろうな、とか。精神的幼さもあるキャラクターなので、はじめて見る世界に喜ぶときには子どものように手を叩いたりもします。でもエスメラルダに出会ってからは、大人の男性の感覚も出てくるんです。カジモドはストレスがかかるとその影響が話し方や身体の動きに顕著に出てくるので、フロローの前では一番強くその特徴を出しています。あとは新しい感情を芽生えさせてくれるエスメラルダの前と、リラックスしていられるガーゴイルの前でもその出し方を変えています。最初は細かく調整できなくて、難しかったですね。また演出家からは、「カジモドは最初はこの鐘楼から絶対に外には出られないと思っているように演じてほしい」といわれたので、"陽ざしの中へ"を歌うときにも表情を次第に変えています。はじめは顔をゆがめていますが、「みんなと1日過ごせたらどんなに素敵だろう」と願うあたりからはカジモドの想像の世界に入るので、顔を自然に戻していく。そして閉じていた目を開けて、心から歌っているような状態にもっていきます。
撮影:上原タカシ
――偏見や差別についても考えさせられる作品ですね。
人間の心の底にあるものが描かれているからこそ、時代を超えて観客の琴線に触れるのだと思います。他人事ではなく「では自分はどうなんだろう? 偏見を持ってはいないだろうか?」と問いかけてくるような力がある。それはただ物語が突然はじまるのではなく、俳優が役を演じていることをお客様の前で見せる演出のおかげだと思うんです。これによって「怪物と人間とは何が違うのか」というテーマのひとつを浮かび上がらせ、「これは"あなたの物語"でもあるんですよ」とお客さまに訴えているのだととらえています。
――カジモド役は身体的にハードルが高い役ですよね。
顔の表情、首、腰、脚、すべてに負担がかかりますが、毎公演「今日で役者ができなくなってもいい」という気持ちで臨んでいます。常に100%の意気込みで向き合わなければ演じきれないほど、抱えているものがあまりにも大きい役なんです。作品も役も大きなテーマを持っていますので、捨て身でいかないと自分が押しつぶされそうになります。カーテンコールが終わってお客さまが帰るときまで、なかなか笑顔になれないんです。感謝の思いを笑顔でお伝えしたいのですが、いつも気持ちが張りつめていて、みなさんが席を立つあたりでやっと少し笑顔になれるような感じです。
――観客のみなさんに注目してほしいポイントを教えてください。
白と黒を中心とした舞台セットで、バラ窓のステンドグラスと鐘がとても美しいです。その他のセットはシンプルで、俳優が壁の役割となったり、柵が扉になったり、橋になったりと、お客さまに想像力を働かせていただきながら観ていただくような演出になっています。照明にもこだわりがたくさんあって、スモークの具合や木の梁の部分にライトが当たったシルエットがきれいなんです。一幕の後、休憩に入るときの舞台もぜひ注目してほしいです。薄暗くてふわっとしたブルーの光のなかに、夜の鐘付き堂と聖人像が見える。物語の余韻があってミステリアスで素敵ですよ。それとオープニングをよく観ているとエンディングがさらに感動できる演出もあるので、ぜひ最初からじっと目を凝らして舞台を観ていただければと思います。
撮影:上原タカシ
――ディズニーミュージカルファンの方にメッセージをお願いします。
ディズニーミュージカルのどの演目にも共通している大きなテーマは、愛だと思います。愛する気持ちがあればこそ、困難を乗り越えていくことができる。親子愛、男女の愛、友情、作品ごとに様々な形がありますが、すべてに"愛"があるんですよね。ディズニーミュージカルは、僕と同じように子どもの頃からアニメーションで親しんだ方も多いと思いますが、大人になったからこそ胸に響くこともたくさんあります。僕自身、大人になって人間の業の部分が見えてきたからか、『ノートルダムの鐘』の「人間と怪物、どこに違いがあるのだろう」という歌詞を聞いたとき大きな衝撃を受けました。
――劇団四季を目指したきっかけを教えて下さい。
僕が10歳で観た人生初の舞台は四季の『ソング&ダンス ミュージカルの花束』だったんです。本物の芸術に触れてほしいという教育方針を持つ両親に連れられて様々な舞台に足を運ぶうちに、自分も歌で表現する側の人間になりたいと思うようになりました。その後、ボーカリストとしてステージに立つ仕事をしたり、地元福井のテレビ局でADのアルバイトをしている間に、兄(飯田洋輔)が四季に入ったこともあり、東京に行ったときに『ライオンキング』を観てみたくなったんです。寒い時期だったのですが、当日券しかなかったので朝8時くらいからひとりで列に並んで、気付けば3日間連続で通っていました(笑)。四季を観るのは小学生以来で、歌の持つ力や表現力に圧倒されたのだと思います。この日をきっかけに自分も四季を目指すようになりました。ちなみに小学生の頃に初めて観た会場の舞台に立った時、当時のプログラムにはさんであったチケットの半券を頼りに、かつて自分が座った席に座って開演前のステージを眺めたこともあります。
撮影:上原タカシ
――最後に、劇団四季に入りたいという方へのアドバイスもお願いします。
僕自身も気をつけている事ですが、人前で芝居をしたいと思うのであれば、作品、共演者、スタッフ、お客さまのために骨身を削る覚悟が必要だと思います。目立ちたい、有名になりたいというのではなく、お客さまも含めて作品に関わるすべての人に対して、与える気持ちを持つこと。"不惜身命"ということですね。たとえば『ノートルダムの鐘』を観るのは人生で一度きりという方もいらっしゃいますよね。その方にとってはカジモド=僕が演じたカジモドなので、責任感をもって舞台に立っています。俳優はプレッシャーを感じ続ける大変な仕事ですが、みんなで力を合わせて感動をお届けすることができる、間違いなくやりがいのある仕事であると思っています。その覚悟をもって、同じ舞台に立つことができるのを楽しみにしています。
福井県出身。2008年研究所に入所し、『ジーザス・クライスト=スーパースター』司祭役で四季での初舞台を踏む。『オペラ座の怪人』のラウル、『キャッツ』スキンブルシャンクス、ラム・タム・タガー、『リトルマーメイド』エリックなどを演じている。
【ストーリー】
15世紀末のパリ。ノートルダム大聖堂にカジモドという名の鐘突きが住んでいる。幼い頃に聖職者のフロローに引き取られた彼は、その容貌ゆえに塔に閉じ込められ、外の世界と隔離されて生きてきた。友だちは彼の前でだけ生命を宿す石像(ガーゴイル)と鐘だけという日々のなか、自由になることを夢見ていた。年に一度の祭りの日、塔を脱け出したカジモドはジプシーの踊り子、エスメラルダと出会う。
【公演情報】
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劇団四季ディズニーミュージカル『ノートルダムの鐘』