
スター・ウォーズ新3部作制作時のマシュー・ウッド(左)と師匠のベン・バート。
『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』(1999)でウッドとバートが作業にあたった最初の1年は同作の本編撮影と同時期にあたるが、この間スカイウォーカー・サウンドのスタッフは彼らふたりだけだった。その後新しいスタッフがチームに加わったが、ウッドがプロジェクトの中核を担っていたことには変わりなく、バートは彼のことを「デジタル・アーキテクト(デジタル建築家)」と呼んでいた。
「『インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険』のスーパーバイザーのひとりだったトム・ベルフォートがADRスポッティング(どの部分にADRが必要かを判断すること)を担当した」とウッドは解説する。「サウンド・チームの主任エフェクト(効果音)編集はクリス・スカラボシオ。そして主にドロイド音声に特化したエディターとして、旧3部作のいくつかでサウンド編集を担ったテリー・エクトンが参加してくれた。セリフの編集はグウェン・ウィットル。彼女は今でも業界で素晴らしい仕事を続けているよ。ケビン・セラーズはアシスタントで、私と同じように技術畑の出身。彼は現在標準となっている多くのプログラムのプロトタイプ作成に関わっていた。ベンはチーフ・デザイナーで、彼がサウンドのすべてを統括してた」
ウッドがこの後、本作で担った役割のひとつにADR用の録音がある。ADRとは特定の場面の演技をさらに洗練させるために、アフレコでセリフを俳優にしゃべりなおしてしてもらい、置き換える作業のことだが、ウッドはこれをひとりでこなすことになり、猫の手も借りたいほどの忙しさだった。
従来的なADR作業はアナログ然としたプロセスで行われていた。参照用の映像をフィルムまたはビデオテープで流しながらセリフをしゃべってもらい、それを磁気テープに録音するというものだ。
「小さなスタジオに行ってね、何回もループするみたいにセリフをしゃべってもらうんだ」とウッドは説明する。「何回も何回も同じことを言ってもらう必要があるから、めちゃくちゃに時間がかかった。私は『インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険』の仕事で、デジタルADR作業のいくつかをスカイウォーカー・ランチで行ったのだけど、北カリフォルニアにはあまり俳優が来てくれなかった。持ち運び可能な機器ができればクールなんだけどな、って思ってたよ」
ウッドはロンドンの「Gallery Software」のマーク・ギルバートおよびヴァネッサ・ジェーン・ホールと提携し、ひとりでどこにでも持ち運べる機能的なデジタルADRシステムを作り上げた。またアップル コンピュータ(※註:社名は当時)からは、作業に必須となるProToolsソフトウェアを実行できるプロトタイプのG3ノートブックを受け取った。これにより、通常ならスタジオまるまるひとつが必要となる装備が、スーツケース数個内に収まることになった。ウッドがジョージ・ルーカスにこのシステムを実演すると、監督は「じゃ、どこか楽しいところでADR作業をやろうよ」と言い、彼らはバハマに向かうことになった。
しかし、トロピカルな場所に向かうよりも先に、彼らはロンドンへと戻る。そこでは本編撮影が進行しており、出演俳優の多くがそこを拠点としていたからだ。
「システムがうまく動かなかった場合に備えて、実際のADRスタジオに自分のシステムを持ちこんだんだ」とウッドは言う。「大きなバグがあってね。前の日の夜、マーク・ギルバートの家に行ってそれを直してた。リーアム・ニーソンのセリフを録音する5時間前くらい前になってやっと修正が完了したんだ。で、ADRスタジオでポータブル・システムを使用してみたんだけど、完璧に機能したよ」
最終的にロンドンにいる間は、持ちこんだポータブル・システムのおかげでギルバートとホールの自宅が仮設スタジオに早変わりした。
「本当に素敵な家でね。私たちサウンド・クルーは寝室のひとつを録音ブース用としていじらせてもらっただけだったんだけど、みんながそこに来てくれたよ」とウッド。「堅苦しさがまったくなくてね。私は小型のCCTV(カメラとモニターが直接繋がった装置)を持っていったんだけど、それをADR用にセットアップした。ジャー・ジャー・ビンクスを演じたアーメド・ベストはよく早めに来てたよ。私はいつも少しストレスを感じてた。というのは、そのとき、装置をちゃんと機能させるのは全部私の責任だったから。バックアップ機器はなかったんだ。彼はとてもリラックスした感じで『君なら大丈夫、うまくやれる。君にぴったりの仕事だよ』なんて言ってくれた。彼はじつに素敵な人柄で、すごく仕事がしやすかった」
バハマでウッドがレコーディング用に選んだ場所は地元の音楽スタジオ「コンパス・ポイント」だった。
「私たちはそこで1~2週間過ごして、その後、みんなに飛行機で来てもらった。サミュエル・L・ジャクソンはゴルフを楽しんでた。みんなハッピーな感じで、楽しい気分が醸成されてたね。ジョージは私に一生忘れられないような素敵な褒め言葉をくれた。『このやり方はすごくスムーズでうまくいってる。リスキーだったけど、やってよかったよ』って言ってくれたんだ」
「ジェイク・ロイド用には、VRゴーグルの初期プロトタイプを頑張って入手した」とウッドは続ける。「小さなテレビ・スクリーンで、片目あたり640×480程度の解像度だったと思うけど、これを出してる会社に使用許可をもらった。それで、ジェイクにこれを装着してもらって、ADRに使うシーンをループ再生し、直接視認してもらいながら録った。テレビ画面を見ながらやる普通のやり方ではなく、ね。彼以外でも、使用を希望する俳優にはオプションとしてこのやり方を用意した。録音中に周りの様子を目に入れたくない、映画の中に没入したいって人もいるからね。アップルのノートパソコンを使ってProToolsからこのゴーグルにビデオを出力することができたんだけど、当時そんなことをやってる人は誰もいなかった。リーアム・ニーソンが何度かこれを使用して、ジェイクなんかは毎回使いたがってた。彼は元気いっぱいで、優しい子だったね」
『ファントム・メナス』では無数とも思える種類の「声」の収録が必要となったが、大量に登場するトレード・フェデレーションのバトル・ドロイドもそのひとつといえるだろう。撮影時には俳優がデジタル・キャラクターの代役を務めるが、それらの音声をプログラムに取り込み、デジタルでロボット然としたモノトーン・ボイスに仕上げることがウッドの仕事となることもあった。だが、ポストプロダクション中にセリフが新しく書き上げられることもある。そんな場合は、ウッドやバートがバトル・ドロイドの声を自らアテることになった。
「ドロイドが発するもっとも間抜けな声のひとつに『You’re under arrest.(逮捕するぞ)』というのがあるんだけど、あれはベンの声なんだ」とウッド。ドロイドによる最初の「Roger, roger(ラジャ、ラジャ=了解、了解)」というセリフもバートだったとウッドは言う。「『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』(2002)あたりから、自分の声をどんどん使うようになった。『ファントム・メナス』後、バトル・ドロイドはドロイド・コントロール・シップとの接続が切れることになる。新しいバージョンのドロイドは独自CPUを必要とする自律型になるんだ。これはジョージのアイデア。でも高品質のドロイドをそんな100万台も生産する余裕はない、ということで、チープなバージョンが作られることになり、間抜け度はさらに増す、というわけ。『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』(2005)までと、そして『スター・ウォーズ:クローン・ウォーズ』(2008-2020)にかけては、私がすべてのバトルドロイドの声を担当してる。鼻にかかった、ちょっと能天気な声がベンと私の両方の声の特徴だけど、ベンの声は今でも使ってる。インスパイアされるところがあるんだ」
『ファントム・メナス』でのカメオ出演でビブ・フォーチュナに扮(ふん)するマシュー・ウッド(中央)。メイクアップを施すのはインダストリアル・ライト&マジックのキャロル・バウマン(左)とダニー・ワグナー(右)。
『ファントム・メナス』でキャラクターを演じるというウッドの大胆な冒険は声だけにとどまらず、カメラの前に立つまでに至る。
「ルーカスフィルムでの仕事に就いたとき、私は高校を卒業したばかりだったんだけど、それまでは演技や歌が大好きな学生だった」と彼は説明する。「ジョージは私が演技好きなことを知ってた。ある日私はスカイウォーカー・ランチのメイン・ハウスにいて、キャスティング・ディレクターのロビン・ガーランドもそこに来てた。ビブ・フォーチュナが登場するシーンは以前に撮影されていたが、それはボツになり、ビブとジャバがポッドレース・スタンドに一緒に登場することになったんだ。ロビンは誰にビブ・フォーチュナを演じさせるかを考えてた。ビブのメイクアップ用としては、すでに3つの主要部材が出来上がっている状態だった。私はそこに立って音響に関するメモを取ってたんだけど、彼らはずっと私の方を見てるんだ。で、ついにジョージから『やあ、ドアのところに潜んでいて、なかなかに不気味な君、ちょっとオフィスにきて』と声をかけられた。私は「あ、すみません。お邪魔だったみたいですね」と返した。するとロビンが『すぐそこにあなたのビブ・フォーチュナが用意してあるわよ!』って言うんだ。私は痩せていて、前にメイクをしてビブを演じた人と顔の特徴が似てたんだ」
ほどなく、ウッドは近傍のサンラフェルにあるILMの施設へと赴き、メイクアップを施され、コスチュームを装着することになった。小さなブルースクリーンのステージで撮影を指揮したのは視覚効果スーパーバイザーのジョン・ノールだった。
「編集室で素材を見たことがある場面だった」とウッドは回想する。「ジャバ・ザ・ハットの代わりに照明スタンドが置いてあって、私は寝ているジャバを突っついて起こすんだ。最初は、マイケル・カーター(『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』(1983)でビブ・フォーチュナを演じたオリジナルの俳優)がやったみたいに目や歯で演技しようとしてたんだけど、『今回はもっとシリアスなビブにするつもり』だと説明された。私は画面の一要素として撮影されたってとこだね」
スカイウォーカー・サウンドにおけるウッドの功労(5回のオスカー・ノミネートを含む)は三十余年を数えるが、彼は自身の旅を振り返り、『ファントム・メナス』を「たくさんの映画に携わってきたが、これまで手がけた中で一番好きな映画」だと語る。「テクノロジー、クルー、スケジュール、ロケ地、仲間との信頼感等、すべてがひとつになった最高の経験だった。私も若かったし、初めての大きな監督職に現場で昇進したということもあった。じつに感慨深いよ」
「音作りにおいてジョージとサウンド・チームの間には、大きな信頼関係があった」とウッドは語る。「ジョージは私たちの芸術的な感性を事細かく管理しない。彼からはどういったストーリーかということと、サウンドでどんなふうに表現したいかということについて書いたメモを渡されるだけなんだ。そこまでのレベルで信頼されてるというのはあまりないことだよ。私たちは制作の初期段階からすべてをやってたから、最終ミックスに行き着くまでに、彼に全部を見せたり、最初からやりなおしたり、なんて必要性はなかった。1997年から始まった仕事は2年間コツコツと着実に進んでいった。ジョージは仕事以外の、家族やみんなの生活というものを大切にしてたから、残業なんてなかったよ」
ウッドの『ファントム・メナス』に対する気持ちを締めくくるに際し、忘れえないものといえば、ファンの集いである2019年のスター・ウォーズセレブレーション・シカゴが記憶に新しい。そこでは、映画の20周年を祝うべく、キャストとスタッフによる特別パネルが開催された。
「仕事仲間全員と一緒にステージに上がり、ファンの映画への愛、とくにアーメド(・ベスト)に対する彼らの気持ちにはジーンとしたよ」とウッド。インタビューの締めくくりにあたり彼はこう続ける。「私は泣いてた。あの映画に取り組んでいる間というのはすごく楽しい時間だった。あのときの気持ちがよみがえってきたみたいで嬉しくなった。公開当時は、スター・ウォーズとはどうあるべきかについて多くの人が独自の考えを持っていて、世代交代の最中でもあった。25年経った今、みんなが──とくにそれで育った人たちが──新3部作を愛してくれているのを目にできるのはじつにステキなことだね。新3部作に取り組んだ経験がいかに素晴らしかったかということについては揺るぎない自信がある。とてつもなく充実した経験だった。自分の人生のハイライトさ」
ファントム・メナス25周年:マシュー・ウッド インタビュー Part 1はこちら>
Starwars.com 2024/9/4 の記事
筆者略歴
ルーカス・O・シーストロムは、ライターでありルーカスフィルムのヒストリアン(歴史家)。カリフォルニア州セントラル・バレーの農場で育った彼は、生涯にわたるスター・ウォーズおよびインディアナ・ジョーンズのファンである。