MCU作品『ブラックパンサー』で主演を務めたチャドウィック・ボーズマンが先日闘病の末、この世を去ったことが報じられました。世界中のファンが悲しみに包まれた中、この度『ブラックパンサー』のメガホンをとったライアン・クーグラーがコメントを発表し、その悲痛の思いを語っています。
『ブラックパンサー』監督、ライアン・クーグラーが語るチャドウィック・ボーズマンの遺産
私の気持ちを話す前に、偉大なチャドウィック・ボーズマン(以下チャド)の訃報を受け、まずは彼にとって大切だったご家族、特に妻のシモーヌにお悔やみ申し上げます。
私はマーベルとアンソニー・ルッソ&ジョー・ルッソからティ・チャラのキャスティング権を受け継ぎました。それは生涯忘れることのない、恵まれた出来事でした。ティ・チャラとしてのチャドの最初の演技を見たのは、完成前の『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』。その頃、私は『ブラックパンサー』の監督を務めることが自分にとって正しい選択であるのかどうか、悩んでいたのです。しかし、その後に起こる決定的な瞬間を私は生涯忘れないでしょう。ディズニーの編集室に座って彼が登場するシーンを見た、あの瞬間を。ブラック・ウィドウ演じるスカーレット・ヨハンソンと共にスクリーンに登場した後、アフリカ映画界の重鎮ジョン・カニ(以下ジョン)演じるティ・チャラの父、ティ・チャカが現れるシーン。あの時、私は『ブラックパンサー』を作りたいと思ったのです。スカーレット・ヨハンソンが彼らから離れた後、ティ・チャラ(チャド)とティ・チャカ(ジョン)は、今まで聞いたことないような言語で会話をしていました。それは少し懐かしさのあるサウンドで、アメリカに住む若い黒人の子供たちが出す舌打ちの音のようなものでした。使うと失礼だとか不適切だと非難されるような、あの音。しかし、そこにはいにしえの力強さ、そしてアフリカを感じさせる音楽性があったのです。
映画を観終わった後の会議で、私はプロデューサーの一人であるネイト・ムーア(以下ネイト)にその言語について尋ねました。「これは皆で作った架空の言語なの?」と。するとネイトは「あれはジョンの母国語でもある、コサ語です。彼とチャドはその場でコサ語を使うことに決めて、我々もそれに乗って撮ったんです」と答えたのです。私は聞いてこう思いました、「つまり彼は、その日のうちに別の言語でセリフを覚えたのか?」と。それがどれだけ難しいことか。私はチャドにまだ会ったこともないのに、彼の俳優として持つ能力に、既に感動していました。
その後知ったのですが、映画の中でティ・チャラの台詞について長い話し合いがあったそうです。結果、サウスカロライナ州出身のチャドがその場でコサ語の台詞を覚えられた事もあり、ワカンダの公用語がコサ語に定まったとのことでした。加えてチャドは、自身のキャラクターにアフリカのアクセントを持たせることを提案しました。そうすることでティ・チャラを西洋のアクセントに飲み込まれていない、確固たるアフリカの王として観客に披露することができるからです。
私がようやくチャドに直接会う事ができたのは、2016年の初め、『ブラックパンサー』の監督に正式に就任した後でした。彼は、私が『クリード チャンプを継ぐ男』の取材を受けている最中、ジャーナリストたちの間を掻き分けるようにして控室まで来てくれたのです。私たちはそこで自分たちの人生について語りあいました。私は自分の大学時代のフットボールのこと、彼はハワード大学で監督になるために勉強をしていたこと。そして、ティ・チャラやワカンダに対してお互いが持つビジョンのすり合わせなどをしていました。彼のハワード大学での同級生だったタナハシ・コーツが今、マーベルでティ・チャラの物語を書いているという偶然についても話しましたし、そのタナハシ・コーツが書いた伝記「Between the World and Me」の中で触れられた、警官によって殺されたハワード大学の学生プリンス・ジョーンズもチャドの知り合いだった、という皮肉についても話しましたね。
その時、私はチャドが特別であることに気づいたのです。彼は穏やかで、自信があって、勤勉家でした。しかし同時に親切で、人を元気づける、世界で一番温かい笑顔を持つ人物だったのです。そして彼の目は、彼の実年齢以上のことが見えているようで、それなのに時々、子供が何かを初めて観た時のようにキラキラと輝いてもいました。
それから私たちは幾度となく会話を重ねました。彼は特別な人だった。私たちは時々、先祖から受け継いだもの、アフリカ人でいることの意味について話し合いました。映画の準備中、彼は全ての決定や選択を自分にどう反映されるかだけでなく、それがどのような影響を持つかについて深く考えていました。
「僕たちが作っているものは、これまでになかったものだ」「『スター・ウォーズ』や『ロード・オブ・ザ・リング』という大作はこれまでにあった、しかしこの映画は、僕たちにとってより大きなものだ!」
私たちが劇的なシーンの完成に苦労したり、時間がかかったりした時に彼はこんな事を言ってくれるような人でした。ボディ・ペイントを施して自らスタントをしたり、極寒の水の中に飛び込んだりした時も。私はそれにうなずき、笑っていましたが、実際のところ彼の言うことを信じていませんでした。映画が成功するのか、全く検討もつかなかったのです。自分が何をしているのか、わかっていなかった。しかし振り返ってみると、チャドは我々が確信を持つことができなかったことに対し、確信を持っていたことに気づいたのです。彼は長い目で見て仕事に向き合っていました。自身のことも。
彼は助演役のオーディションにも参加してくれました。大作映画の主演を務めるような俳優は普通、ここまでしてくれません。エム・バクのオーディションにも何回か来てくれましたし、ウィンストン・デュークとの相性を見る読み合わせでは最終的にレスリングまでしてくれました。しかもその時、本気になりすぎてウィンストン・デュークのブレスレットを壊しちゃったんですよ。レティーシャ・ライトが参加したシュリ役のオーディションでは、ティ・チャラの持つ王家の落ち着きを彼女が持ち前のユーモアで崩し、笑わせていました。その笑顔はティ・チャラではなく、100%チャド本人のものでしたね。
映画の撮影中、私たちはオフィスやアトランタに借りた家でセリフや各シーンにより深みを与える方法について話し合いました。衣装や、ワカンダの軍事慣行についても話しましたね。「ワカンダ人は皆、戴冠式の最中に踊っていなければいけない。ただ槍を持って棒立ちでいるなら、ローマ人との差別化ができていない」と彼は意見をくれました。また、脚本の初期段階ではエリック・キルモンガーがティ・チャラに自分をワカンダに埋葬してくれと頼むという設定でした。しかしチャドはあえてそこに疑問を持ち、もうひと押しするようにこう考えたのです。「もし、キルモンガーがワカンダではなく他の場所に埋めてくれと頼んだら?」と。
チャドはプライベートを大切にする人で、私は彼の病気について詳しく知りませんでした。彼の家族が声明を発表した後、私が彼に会った時からずっと彼が病気と闘っていた事がわかったのです。彼は世話好きでリーダーで、信念と高潔さ、そしてプライドを持つ男だったので、周りの人に心配をかけないようにと、苦しみを知らせないようにしたのです。彼は美しい人生を送り、偉大な芸術を残した。来る日も来る日も、何年もの間。それが彼という人間でした。彼は壮大な打ち上げ花火のような人だったのです。私はこれからずっと生涯を終えるまで、側で目にした数えきれないその輝きを語り続けたいと思います。彼が私たちのために、この世に残した痕跡の素晴らしさは計り知れません。
私はこれまで、深く喪失を感じた経験はありません。昨年は続編に向けて準備していました。彼がスクリーンで紡ぐはずだった言葉を想像し、書いていたのです。しかしもう一度、彼のクロースアップをモニターで確認することも、彼に歩み寄ってもうワンテイク撮影をお願いする事もできない。そう思うと、胸が張り裂けそうです。
もう会話をすることも、フェイスタイムで電話をすることも、メールをすることもできないとわかって、より一層辛いです。彼はパンデミック中、私と私の家族のためにベジタリアン用のレシピや食事療法の方法について送ってくれていました。自分自身が癌を患っているにも関わらず、私や私の愛する人の健康を気にしてくれていたのです。
アフリカの文化で我々はよく、亡き愛する者たちを祖先に託するという考えを持ちます。遺伝的に繋がっていようと、いまいと。私はチャドの演じるティ・チャラがワカンダ国王の先祖たちとコミュニケーションするシーンを撮るという特権に恵まれました。撮影はアトランタの廃墟となった倉庫にブルースクリーンと巨大なライトを用意して臨んだのですが、チャドの演技はあのシーンの全てを現実だと感じさせるものでした。なぜなら、チャドが私に会った瞬間から、先祖が彼を通して語りかけてくれていたからだと思うのです。そう考えると、彼が最も素晴らしいキャラクターを巧みに表現できたことも、不思議ではありません。彼がこれからも生き続け、我々を祝福してくれることに疑いはないでしょう。しかし、深い悲しみとこれまで側にいることができたことへの深い感謝を胸に、今やチャド自身が祖先の一人となったという事実を受け止めなければいけません。そして彼が私たちをどこかで見守り続け、また再会することを信じています。
ライアン・クーグラー