海の世界を舞台に、人魚と人間の恋物語を描いた長編アニメーション映画『リトル・マーメイド』。アンデルセン童話を原作とした同作には、世界各地の伝説や神話からのインスピレーションが散りばめられています。世界中の人々を魅了する人魚や海王にまつわる、さまざまな伝承をひも解いてみましょう。
海の帝国アトランティスとは?
『リトル・マーメイド』の舞台である海底帝国アトランティス。この名前は、古代ギリシャの哲学者プラトンが、紀元前360年ごろに書いた著書「ティマイオス」と「クリティアス」の中で、伝説上の大陸とそこに繁栄した帝国として登場しています。プラトン曰く、彼の時代の9000年前に存在した帝国で、リビアとアジアを合わせたよりも大きい面積を誇ったとのこと。帝国を作り上げたのは半神半人で、島には、金銀やその他の貴重な金属が眠り、エキゾチックな野生動物たちが生息していたと言われています。
アトランティスの物語は、数々の詩人や宣教師らによって語り継がれてきましたが、実際に記録として残っているのは、プラトンの著書のみ。そのため、この物語が事実に基づいているかどうかは、今も白熱した議論が交わされているようです。
アリエルの父、トリトンの由来
『リトル・マーメイド』のなかで、そのアトランティスを治めているのが、アリエルの父トリトン。ギリシャ神話においてトリトンは、海神ポセイドンとアンフィトリテ(またはアムピトリーテー)の息子として知られています。父ポセイドンと同じく、三叉槍であるトライデントを操りますが、波を立てたり鎮めたりするために、ラッパのように吹くホラ貝を持っているのも特徴です。絵画や彫刻では、このホラ貝を持ったトリトンの姿がおなじみですね。
トレビの泉のトリトン像
ちなみに、トリトンという名前は、海王星最大の衛星の名前にも使われています。海王星の英語名はネプチューンですが、これがローマ神話でポセイドンと同じ海の神であるため、その息子であるトリトンの名前が採用されたとのこと。映画のなかでは、末娘のアリエルが人間に興味を持つことに神経をとがらせたり、過保護気味である自分に苦悩したりと、父としてチャーミングな部分も見せているトリトンですが、その名の由来は壮大なものでした。
父王の武器、トライデントの由来
このトリトン王が操るのが、トライデントと呼ばれる三叉槍。ギリシャ神話やローマ神話の海神であるポセイドンやネプチューンの武器とされているほか、一般には、漁業にも使用されていたそうです。海王星を示すマークとして、天文学や占星術においても使用されています。ギリシャ神話においてトライデントは、水と大地を支配する能力を持ち、ときには地を突いて地震や大波を巻き起こし、鎮める能力を持つとされています。
『リトル・マーメイド』でも、王家のものだけが操れる魔力を持った宝物として、象徴的なシーンで登場。魔女アースラに、アリエルとトライデントのどちらを差し出すかと迫られたり、アリエルの身代わりとなり、トライデントと王の座を奪われ、姿を変えられてしまうなど、トリトンの運命を左右します。
クライマックスでも、このトライデントが重要な力を発揮していますよね。
世界各地の人魚伝説
世界各地で伝承される人魚伝説の人魚は、美しさの象徴、悲運の対象、人間への教訓など、さまざまな役割を担っています。多くの人魚に共通するのは、長寿や不老不死であったり、アリエルのように歌が好きであったりするようです。
アンデルセンの故郷、デンマーク・コペンハーゲンの人魚像は観光名所としても有名ですが、その他にもヨーロッパにおいては、「ローレライ」や「セイレーン」など、船乗りを美しい歌声で酔わせる人魚や、アイルランドの「メロウ」やノルウェーの「ハゥフル」など、嵐や不漁の前兆として船乗りや漁師たちに恐れられていた人魚の伝説が語られています。
コペンハーゲンの人魚姫の像
フランスには、貴族と結婚して子宝と富をもたらした水の精「メリュジーヌ」の伝説があります。毎週土曜日に下半身がヘビに変わってしまう彼女は、その時には姿を見ない約束で貴族と結婚しましたが、貴族が約束を破ってしまったことで、メリュジーヌは翼をつけた龍になって飛び去ってしまう、という物語です。
中南米の人魚「イアーラ」は、普段は美しい娘ですが、川に入ると人魚に姿を変え、その美しい歌声の誘惑に逆らえない者は正気を失うと伝えられています。
日本にも人魚にまつわる伝承がたくさんあります。「日本書紀」に記された最古の記録や、聖徳太子が人里に住めない悲運を嘆く人魚を手厚く供養したという話、父が持ち帰った人魚を食べたことで長寿になった娘「八百比丘尼(やおびくに)」の伝説も有名です。
このほか、中東やアフリカ、パプアニューギニア、中国にも人魚伝説はあるようです。
人魚は本当にいるの?
さてそんな人魚は、本当にいるのでしょうか?彼らは人間と、魚や爬虫類のハイブリットで、特に水中に生息するという設定であることが多いようです。『リトル・マーメイド』のアリエルのような女性のイメージが強いですが、広義では、男性人魚のマーマンや半魚人、水の精なども、人魚に含まれます。一般的に、上半身が人間、下半身が魚という形状で知られていますが、伝承される国や地域によって、形状や性質は異なるようです。
人魚については大きく分けて、まったく架空の生物であるという説、船乗りたちが既存の生物を見まちがえたという説、本当に人魚という未知生物がいるという説があります。見まちがえの対象となった既存の生物としては、カイギュウ哺乳類のジュゴンが有力。仕草が人間に似ているとのことですが、特に、水面から顔を出し、直立の姿勢で授乳する姿が人間の女性を連想させるようです。
ジュゴン
また、同じカイギュウ類のマナティや、シロイルカのベルーガ、深海魚リュウグウノツカイなども、人間と魚のハイブリットを空想させるとして挙げられています。未知の人魚が実在するという説にはワクワクさせられますが、空想と見まちがえのコンビネーションによって、各地の人魚伝説が生まれたという見方が有力なようです。
今年30周年を迎える『リトル・マーメイド』。世界の伝説や神話に想いを馳せながら、この夏もまた、アリエルたちの海の世界を訪ねてみてくださいね。