ウォルト・ディズニー・カンパニーの創立100周年を祝い、6枚の新しいイラストとともに、ディズニーの創造性における挑戦の壮大な歴史を、1923年のディズニー・ブラザーズ・カートゥーン・スタジオとしての始まりから、最新の映画、配信、ディズニーパークに至るまで、年代ごとにご紹介します。
著名なヴィジュアルアーティスト、サム・カーター(彼の作品は、この後のインタビューにもあるように、エプコットのInternational Festival of the Artsやワンダーグラウンド・ギャラリーなどで観ることができます)によるイラストが、シニア・ディズニー・デザイナーのMelanie Lapovich(メラニー・ラポヴィッチ)の協力を得て、一連の作品としてディズニー100で初めて、カリフォルニア、バーバンクのウォルト・ディズニー・スタジオで、2023年10月15日、100年祭の前夜にお披露目されたのです。
そのアートワークがとても素晴らしく、ディズニーの歴史の記念すべき瞬間が詰まっているのでご紹介していきますね!
1920年代
すべての始まりはここからでした。1923年、ディズニー・ブラザーズ・カートゥーン・スタジオが創設され、その後ウォルト・ディズニー・スタジオ、さらにはウォルト・ディズニー・プロダクションズへと名称が変わりました。この絵には、ウォルトがカリフォルニアに到着し、兄のロイと一緒に自分のスタジオを始めたときの作品『アリス・コメディ』に登場したアリスが描かれています。そして彼女の後ろに描かれているのは、ウォルトにとって初めてブレイクしたアニメーションスターである、しあわせウサギのオズワルドです。そしてミッキーマウスの最初の作品である『プレーン・クレイジー』(1928)が遠景に、前方に『蒸気船ウィリー』(1928)と2作品が描かれています。これは、公開されたミッキーマウスの最初の短編作品であり、完全にシンクロした音声がつけられた史上初のアニメーション作品でもあります。また、最初のシリー・シンフォニー短編『骸骨の踊り』(1929)に登場している骸骨たちも描かれています。
1930―1940年代
1930年代には、ウォルトの最初の長編アニメーション映画となる『白雪姫』(1937)が公開されました。ここにはその白雪姫が中心に描かれ、映画がプレミア上映されたカーセイ・サークル・シアターが彼女の後ろに描かれています。またこの時代には『ファンタジア』(1940)がリリース。ミッキーマウスが魔法使いの弟子を演じました。1940年代には他にも、『ピノキオ』(1940)や『バンビ』(1942)というアニメーション長編映画も公開されています。そして、1940年に建設されたウォルト・ディズニー・スタジオを記念して、有名な給水塔、ミッキー・アベニューとドーピー・ドライブの角の象徴的な道路標示、そして当時のアニメーションビルも描かれています。加えて、1930年のディズニーコミックスとコンシューマー・プロダクツを祝し、最初に新聞に掲載されたミッキーマウスのコミックス、最初のミッキーマウスブック、そして1940年代版のミッキーマウス腕時計がコラージュされています。
1950年代―1970年代
この年代における大きな出来事は、最初のディズニーテーマパークの登場でした。1955年にカリフォルニア、アナハイムにディズニーランドが、そして1971年にはフロリダのオーランド近くにウォルト・ディズニーワールドが開園しました。このイラストには、現在はウォルト・ディズニー・イマジニアリングとして知られる、当時はWEDエンタープライズ制作の、"イッツ・ア・スモールワールド"や"魅惑のチキルーム"に登場する鳥、"空飛ぶダンボ"、"ディズニーランド・モノレール"、そしてメイン・ストリート・エレクトリカル・パレードという人気のアトラクションやキャラクターが描かれています。ディズニーがフロリダ・シトラス・コミッションのために制作した、オレンジバードが空を飛んでいる姿も! 空には、1955年のテレビ番組シリーズ『ミッキーマウスクラブ』のバッジが描かれ、その他にも、この時代の映画の人気アイコンも描かれています。『眠れる森の美女』(1959)に登場するドラゴンの姿になったマレフィセント、『ピーター・パン』(1953)からはピーター・パンとダーリング家の子供たち、そしてウォルト・ディズニーの実写映画の傑作『メリー・ポピンズ』(1964)からメリー・ポピンズの姿も探してみてください!
1980年代
1980年代にはウォルト・ディズニー・ワールドにエプコットがオープン。アイコニックなスペースシップ・アースやキャラクター"フィグメント"が登場しました。そして1983年には、アメリカ以外の国では初めて、東京にディズニーパークがオープン。その象徴となるシンデレラ城やアトラクション「ミート・ザ・ワールド」、着物を着たミニーマウスが描かれています。さらには、1984年に新たに設立されたタッチストーン・ピクチャーズの映画『スプラッシュ』(1984)へのオマージュも。それから1983年にはディズニー・チャンネルや、スクルージ・マクダック、ヒューイ、ルーイ、デューイが活躍する『ダックテイルズ』(1987-1992)などのオリジナルのテレビ番組がスタートしました。
1990年代―2000年代
この年代には、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオを象徴するような映画が生まれました。たとえば『美女と野獣』(1991)や『アラジン』(1992)などです。ディズニーの劇場制作部門が1990年代にスタートし、1997年にはブロードウェイで「ライオン・キング」が上演され、ニューヨークでは今でも鑑賞することができるロングランとなっています! 1996年にディズニーグループとなった、TVネットワークのABCのカメラやESPNのマイクが描かれています。1992年にはディズニーランド・パリ(当時の名称はユーロ・ディズニーランド)、1998年にはディズニー・アニマル・キングダム・テーマパーク、2001年にはディズニー・カリフォルニア・アドベンチャー・パーク、東京ディズニーシー、そして2002年にはパリをベースとしたウォルト・ディズニー・スタジオ・パーク、そして2005年には香港ディズニーランドという6つのテーマパークもこの時期にオープン。1998年には、"ディズニーマジック"と言われるディズニーのクルーズライン初の客船が初航海に出ました。そして2006年、ディズニーはピクサー・アニメーション・スタジオを会社に迎え入れたため、このイラストにも、ピクサーボールをはじめとして、『トイ・ストーリー』(1995)からウッディ&バズ・ライトイヤー、『カーズ』(2006)からライトニング・マックィーン、『ファインディング・ニモ』(2003)からニモとドリー、そして『カールじいさんの空飛ぶ家』(2009)からカールの家が描かれているのです。
2010年代―2020年代
この時代になると、マーベル・スタジオ、ルーカスフィルム、そして20世紀スタジオが加わりました。イラストには、それらのブランドの象徴的なキャラクターやシーンが。アイアンマン、ブラックパンサー、そしてスパイダーマンが、マーベルシネマティックユニバース、そしてインフィニティサーガをたたえたアベンジャーズタワーとともに空に描かれています。スター・ウォーズを代表して『マンダロリアン』(2019―2023)のグローグー、そしてレイとBB-8も少し離れたところに見えます。ナショナルジオグラフィックの2018年のドキュメンタリー『フリーソロ』(2018)から、崖を登っているアレックス・オノルドの姿や、『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』(2022)に登場するキリがイルに乗っている姿も描かれています。それから、2016年の上海ディズニーリゾートのオープンを祝い、エンチャンテッド・ストーリーブック・キャッスルも。そしてウォルト・ディズニー・スタジオからの映画が2作品、『アナと雪の女王』(2013)と『ウィッシュ』(2023)が描かれています。
ここからは、このアートワークを制作した、ヴィジュアルアーティストのサム・カーターさんへの質問形式でお楽しみください!
Q:この6枚のアートワーク制作について、どう取り組みましたか?
サム・カーター:愛を込めましたよ。全6枚作るのに、作業期間は約1ヵ月でした。ディズニー・コーポレイト・クリエイティブ・リソースのクリエイティブチーム(注目すべき物事や、どう分けるべきかという部分において、年代ごとに概要を示してくれた)と力を合わせるグループ作業でした。
このアート制作には本当に夢中になりました。パズルのピースをはめるように、いつも構成を考えていました。夜遅くまで作業していて、キャラクターや建物を描くときに、それに関連する音楽をかけていたんです。だからこれらの作品には、そういう音楽がしみ込んでいるんです。
私のPCのスクリーンにあったものを、それぞれ25センチ×20センチほどにプリントアウトして、ウォルト・ディズニー・スタジオのいろいろな場所に貼ったら、みんながその前で写真を撮っているのを見たんです。涙が出てきました。ディズニーのためにたくさんのいいプロジェクトをやってきましたが、これは本当に特別でした。誇りと喜びで胸がいっぱいになりましたよ。みんなが喜んでくれて本当にうれしい。
Q:ディズニーの100年を振り返って、個人的にどの年代が気に入っていますか? それからその年代に対する自身の情熱をどんなふうにイラストに込めましたか?
サム・カーター:すべての作業が楽しかったです。どの作品にも情熱を持っています。でも、最後の2010年代から現代が一番感動的ですね。それはアートではなく、他のすべてのスタジオの協力を感じられたからです。ルーカスフィルム、マーベル、20世紀スタジオのアバターチーム、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ、そしてウォルト・ディズニー・イマジニアリング。どのスタジオもすばらしいフィードバックをくれ、コラボレーションをしてくれた。それら巨大なグループと一緒に作業できたことは光栄でした。
Q:イラストに盛り込まれたお気に入りの要素はありますか? また、イースターエッグなどは入っているのでしょうか?
サム・カーター:ディズニー・コーポレート・クリエイティブ・リソースのメラニー・ラポヴィッチがこのプロジェクト全体を通して手伝ってくれました。たとえば、ミニーマウスが東京ディズニーランドのオープン記念の間、着物を着ていて、それがスペースシップ・アースに似ている柄の生地だったことに気付いてくれたので、それをミニーのバッグに使用しました。構図については、熟考して配置をするようにしました。1980年代のイラストでは、スペースシップ・アースが前面の真ん中に配置されていますが、ワールド・ショーケースから日本の鳥居を選び、東京ディズニーランドにつながるようにしたんです。
メラニーはさらに、1990年代と2000年代のイラストでピクサーが前面の真ん中に置かれているため、その色で全体を統一しようと提案しました。素晴らしいアイデアですよね。
差し込んだけれど、さまざまな事情でカットせざるを得なかった"知る人ぞ知る"のような作品もあります。でも、東京ディズニーランドの「ミート・ザ・ワールド」の部分で熱気球にキャラクターを描くことができたのは、本当にうれしかった。D23の記念パーティの夜に、はるばる日本から来たあるゲストに会ったんです。誰にも気づかれないような本当に細かいディテールですが、ひとりでも想いを感じてくれたなら、描いた甲斐があるんです。
私は1995年のメイン・ストリート・エレクトリカル・パレードでディズニーでのキャリアをスタートしました。1970年代のイラストにそれを描いています。それから、ディズニーの生のエンターテインメントの存在を描きたかった。私はつねに部署のみんなを、家族であり、帰る場所のように感じているんです。
D23:The Official Disney Fan Club.
(https://d23.com/disneyplus/)
*本記事の作品公開年はDisney+に記載の公開年を記載しています(2023年11月12日現在)

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